「これって、なんの役に立つの?」
上のようなコメントを耳にしたことはありませんか?あるいは、自分自身が口に出したこともあるでしょう。
自分も家庭教師/塾講師時代によく質問されていました。そして、それは自分が製品の事業責任者になってからも同様です。
言い方は多少変わりますが、例えば、次のような言葉です。
- 議事録を取ることに、なんの意味があるのですか?
- 忘年会の企画/実施を担当することで、自分にどんなメリットがあるんですか?
- この施策を自分が実施することに、どんなメリットがあるのですか?
こんな質問が出た瞬間、自分はその社会人に対するアラートが作動します。なぜかというと「あ、この人学び方が得意じゃないかも」と思うからです。
「なんの役に立つの?」という質問1つで、なぜ自分はそう思うのか。
今回はこの点について深堀りして書いてみたいと思います。みなさんもこの学習の罠に落とされないように、是非参考にしてみてください!
もちろん、質問の意図が「初めて行う業務で、それによって生じる効果を経験してないから」「過去の慣習で行われている業務なので、非効率じゃないか確認したいから」等の場合は別だよ
そもそも、なぜ「役に立つのかどうか」を気にするのか
前提として、なぜ人は「役に立つのかどうか」を気にするのかを考えてみましょう。
私達は何か行動するときに、必ずしも役に立つことしかしないわけではありません。ときには、役に立たないと思われることでも楽しんでやることもあります。
自分も息抜きによくゲームをしますが、将来何かの役に立つと思ってやっているわけではありません。アニメや映画、漫画も同様です。
役に立つかどうかと、実際に理由を聞くかどうかで分類してみると、次のシンプルな表になります。
役に立つ | 役に立たない | |
理由を聞く | ? | |
理由を聞かない |
この「役に立たない」と思っていて、それで「理由を聞く」ケースにはどんなものがありますか?
是非「自分はどうして役に立つのか聞くんだろうか?」と考えてみてください。
どうですか?いくつか思いつきましたか?
色々なケースがあると思いますが、ここで一番注意したい理由がこれです。
1.「役に立たない」から学ばないのではない。自分が「めんどくさい」と思うから学ばない
実はよくよく聞いてみると、なんの役に立つのか聞くことで、相手が答えられないことを免罪符のように使い、学ばない言い訳にしようとしているケースが割とあることに気付きました。
つまり順番が逆なのです。まず「やりたくない」気持ちが先にあり、そのための理由付けとして「なんの役に立つのか?」と聞いているだけの人が多いのです。
そもそも役に立つことなら、本当に学ぶのかどうかも怪しいものです。
たとえば、日本の法律を皆さんは全て覚えていますか?全部は無理だとしても、日常生活に関わるような規則は言えますか?他にも次のような項目はどうでしょう?
- 住んでいる地域のゴミの分別種類と収集日/場所
- 民法と刑法の違いと、SNSで誹謗中傷を受けたときの対応
- 使っているアプリの利用規約と許可されたデータ利用範囲
安心してください。自分も全部は勉強していませんし、覚えていません(笑)
しかし、これらは間違いなく生活に役に立つ知識のはずです。けれど、ほとんどの人はこういった情報を勉強してはいないでしょう。
つまり、役に立つかどうかと勉強するかどうかは、必ずしも一致しないのです。
必要なときにすぐに調べられるから、学ばなくても問題ない?
「いやいや、そういう情報は調べればすぐに分かるから、あえて勉強していないんだよ」
確かに、それは限られた時間を活用する上手い方法です。ただし、そういったときにも二点ほど注意しないといけません。
①:情報の精査には頭を使う必要がある
まず1つ目は「その調べた情報が正しいかどうかを判断するには、結局自分の能力が必要であり、それには普段から頭を使っている人しか出来ない」ということ。
これについては別の記事で詳しく書いたので、そちらを見てみてください。
②:浮いた時間をどう使うかが大事
そして2つ目は「あえて勉強していないことで浮いた時間を、他を学ぶ時間に費やしているか」ということです。
例えば、自分はゴミ出しのルールは全部は把握していませんが、経済産業省が出している DX レポートについては勉強しました。SNS の誹謗中傷への対応は把握していませんが、ソフトウェアにおけるマイクロサービスとは何かについて学びました。使っているアプリの利用規約を全部は読んでいませんが、顧客の本質ニーズを問うジョブ理論について自習しました。
もし浮いた時間を単純に自分の好きなことをやるだけの時間に費やしている場合は、注意が必要です。
日常生活ではそれでもいいと思いますし、休みのときなどは、むしろ浮いた時間を自分のリフレッシュに当てるのはとても良いことです。
けれど、仕事として考えるとどうでしょうか?
給与というのは基本原則、その人が生み出す価値で決まります。その価値が他の人が生み出せないものであればあるほど希少性が高まり、評価が高くなります。
では、いままで学ぶことを放棄し、探して得られた情報通りに行動する人はどうなると思いますか?
書かれたことや決められたことを信じ、それを忠実にこなす能力は高いでしょう。タスクがチェックリストとしてあれば、それに従った業務も得意かもしれません。
けれど、残念ながらそうした仕事は、人間が実施する必要度合いが非常に薄いです。簡単に機械や IT に肩代わりされるわけですから、価値が低いのです。
非常に残酷なことですが、残念ながら事実ですし、みなさんが大人になるとよりこの流れは加速するでしょう。だからこそ、今の皆さんには是非知っておいてほしいのです。
浮いた時間を全部自分が楽になるために使ってしまうと、成長できないから、注意が必要だよ。筋トレと一緒で、ある程度の負荷は成長に不可欠なんだ
学びたくない「本当の理由」を探そう
なので、もし自分の中に「なんで、こんな役に立たないことをやらないといけないんだよ・・・」と思ったときは、次の質問を自分にしてみるといいでしょう。
「仮にもしこれを学ぶことが役に立つと証明された場合、自分はこれに全力で取り組めるのか」
この質問に自信をもって YES と答えられないのならば、役に立つ/立たないは、あなたのやる/やらないとは無関係です。
これは「やりたく無いことでも、役に立つなら絶対にやりなさい」ということではありません。
そうではなく、やりたくない理由が役に立つ/立たないとは別のところにあるということですから、その本当のやりたくない理由を探ればいいと思います!
2. なんの役に立たせられるのかは、結局のところ自分次第
逆に「これを学ぶことは役に立つんだよ!」と他の人から聞くこともあると思います。
しかし、誰かに「これはこのときに役に立つよ」と言われたとしても、だからといってそれがあなたに当てはまるとは限りません。
その時点で「あー、自分には役に立たないからいいや」と学ぶことを辞めることは非常に簡単です。
けれども、人生はどうなるかわかりませんし、そもそも学んだことが全部無駄なく使えることの方が異常なのです。
学んだことが役に立つ割合は2割ぐらい
自身の経験を考えると、学んだことがそのまま役立つことは、せいぜい2割ぐらいしかないと思います。
では、どうやって「役に立つ」知識を増やすか。大きく 2通りの方法があります。
1つは、学んだものが役に立てるように質を増やすこと。例えば、
- 手に入れる情報を将来の自身の夢から逆算して、必要度合いが高いものから勉強する
- 情報を得る場所の質を上げるためにネットだけでなく、書籍からも積極的に学ぶ
- 質の良い情報を手に入れるために、学ぶ場所を時間をかけて慎重に検討する
などがあります。
とはいえ、これにも限界があります。インプットする情報の質を上げても、せいぜい役に立つ割合が2割から4割ぐらいに上がるのが精一杯でしょう。
多くの人は質を上げることを優先しすぎてしまい、とにかく役に立つことを、役に立つことを、と考えます。
その結果、そもそもの学ぶ量が減ってしまいます。役に立つ情報かどうかを吟味していった結果、インプットする量が減ってしまうからです。
学ぶ質を上げることも大事ですが、そもそもの学ぶ量を上げることも、とても重要なのです。
100学んで20活かす人と、40学んで16活かす人では、結局前者の方が役に立つ情報量を持っていることになります。
規定打席数に満たない5割バッターと、全試合出場して打率3割のバッターとでは、後者の方が評価が高くなるのと一緒だね
役に立つかどうかは今の自分じゃなくて、将来の自分が決める
世の中には「知らないから発想できない」ということがたくさんあります。
今では、無料の Google カレンダーでスケジュールを管理することも、メールよりも簡易な Facebook Messenger でやり取りしたり、名刺管理ツールを使って人脈を管理/共有することも出来ます。
けれど、みなさんが就職する会社では、紙やホワイトボードが中心のワークスタイルかも知れません。
そして、そういったときにほとんどの人は「そういうもんなんだな」と納得して、その環境に適用してしまいます。
社内の仕組みを変えて働きやすくしたり、もっと良い仕事環境を求めて転職することも出来るのに、外の世界を知らずに、一部の環境で慣れてしまうため、それを当たり前にしてしまうのです。
だからこそ、自分の当たり前に無い良さを持っている他の人を見て、羨むだけの人がどれだけ多いことか。
皆さんの将来がどのようになるかは、現時点ではわかりません。
だからこそ「これは自分には役に立たないだろう」ではなく、「将来何かで役に立つかもしれない」と考えることがすごく重要です。
「将来役に立たないよ」という人は、自分でその道を閉ざしてしまっていることになります。これは、非常にもったいないことです。
社会にまだ出ていないのに、予め自分の将来の範囲を知らず知らずに狭めてしまっているのですから。
この点については、Apple 創業者のスティーブ・ジョブスがスタンフォード大学の卒業式で残した言葉が、そのことを端的に表しています。
未来を見て点を結ぶことはできない。過去を振り返って点を結ぶだけだ。だから、いつかどうにかして点は結ばれると信じなければならない。
Steve Jobs (スティーブ・ジョブズ)
3. 視点を自分だけではなく、他者にも広げよう
もう一つ挙げられるのは「役に立たないからやらない」は自分思考だということです。
社会というのは多数の人間の関わりで出来ています。それは直接的な関係であることもあれば、間接的な関係のときもあります。
私達が知らないところで、誰かか電気を作り送ってくれている。水道網を整備してくれている。ネット環境を整えてくれている。公共トイレの清掃をしてくれている。
私達の生活の中で自分だけの力で成り立っているものは、今の日本には無いと言っても過言ではありません。
そして、私達もその一部として価値を他者に生み出していくことでしょう。
今学ぶ知識や勉強は、もしかしたら全くあなたの役には立たないかも知れません。けれどもあなたの周りにいる人にとっても役に立たないとは限らないのです。
まとめ:学ぶことから逃げる癖を付けないように
誤解してほしくないのですが、学びたくないことを無理やり学ぶ必要はないと自分は思っています。
ただ、ここで伝えたいのは、学ばないことを選択した意味をしっかり考えておいてほしいということです。
それは、学び方がわからない人になってしまったときの責任を誰のせいにもせず、自分で取るということです。
「そんなこと誰も教えてくれなかった」というのは通用しないのです。
個人的には学ぶ習慣がある人の方が仕事もやりやすいですし、視野も広いので圧倒的に一緒にいて楽しいです。
みなさんにも「これが何の役に立つのか」という質問を言い訳に使うのではなく、むしろ学ぶ意欲を加速させるための質問として使ってほしいなと思います。