東大卒の自分が偏差値を上げることを薦めるたった1つの理由

全般

 みなさん、こんにちは!今日は偏差値を上げる必要性について、書きたいと思います。

 今回は特に実体験を多めに交えてお話しますので、なにか皆さんに気づきが与えられたら嬉しいです。

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「なぜ偏差値をあげるの?」

 自分は家庭教師をしていたときに、よくそのような質問を受けました。こういった質問を聞いてくる生徒というのは、本質の目的を理解しようとしているので、とても嬉しい質問の一つです。

 さて、皆さんはどうして「偏差値を上げる」ために勉強しますか?

自分の人生の選択肢を広げるため

 結論から言うと、これに関して自分は一貫して「選択肢を広げるから」だと答えています。

 偏差値を上げるという行為は、自分の選択肢を広げる活動の一つに過ぎません。例えば、偏差値が40では、選べる学校は限られていますが、偏差値70ともなれば、かなり自由に学校を選べるでしょう。

 ここで言いたいのは、「高い偏差値を取る = いい大学に行く」というのは、違うということです。「高い偏差値を取る = 自分の好きな大学を選べるようにする」というのが、本質的な理由です。

「高い偏差値を取る = いい大学に行く」ではない

 そうです、別に高い偏差値があるからといって、高い偏差値の大学や高校に行くのがイコールではありません。

 自分も高校時代は偏差値 75 前後ありましたが、高校は公立の偏差値 68 の高校を選びました(自由な校風や部活の充実などに重きがあったからです)。

 滑り止めとしては、偏差値 74 の私立高校を受けました。滑り止めの方が偏差値が高いだなんて、一般的な高校受験とだいぶ違いますよね(笑)

 大学に至っては、最初は受験すら考えておらず、専門学校に行こうと思っていました。

「第一志望より滑り止めの方が偏差値が高い」という戦略を選ぶこともできる

 第一志望は「一番行きたい学校」であり、滑り止めは「志望が駄目だったとき、万が一のときに行く学校」です。

 自分の例だと、第一志望の方が滑り止めより偏差値が低いから、滑り止めを受ける意味がないと思う人もいるかも知れません。しかし、それは大きな間違いです。

 なぜなら、下記の公立と私立では、要素が異なっているからです。

公立と私立の違い
  • 公立と私立では問題の形式が違う
  • 公立と私立では受験日が異なる
  • 公立と異なり、複数私立を受験することができる

 たとえ、公立に受かる可能性が非常に高かったとしても、何が起きるかはわかりません。

「体調がその日に悪かった」「たまたま分からない問題ばかりが出た」「滑り止めにさらに滑ったときに対応できるか」…etc。

 これらのケースが発生する可能性を考えると、公立を受かる可能性が高くても、私立を受けるのは、非常に妥当な判断だと思っています。

 そして、このような戦略が取れたのも、選択肢の幅が広かったおかげです。

 もし自分の偏差値が 60前後だった場合、滑り止めはそれより下の範囲から選択したほうが無難なのは、間違いありません。けれども、偏差値が十分にあれば、いろいろな戦略が取れるのです。

入る前だけじゃなく、入った後も将来における選択肢が広がるかどうか

 さて、入る前に色々な選択肢が取れることは分かったと思います。しかし、同様に入った後も、どれだけその学校で自分の選択肢を広げられるかという点も、また重要です。

 そこで、今回はたまたま行きたいところが偏差値が高いところだった場合、入った後に自分の選択肢は広がるのかどうかについて、みてましょう。

 一般的には、偏差値が高い大学ほど、予算/教員/学生の数や質が多い傾向にあります。

 これは皆さん納得できるかと思います。一緒に高みを目指して、話の会う人達と過ごしたいと思うのは自然なことです。

 大学を学ぶ場所としてみても、働く場所としてみても、そのことは変わりません。参考に、以下の国立大学法人の運営費交付金の配分状況を見てみましょう。

国立大学法人運営費交付金の配分状況 – 文部科学省より

 文字が小さいですが、東京大学が飛び抜けており、その後を京都大学、東北大学、大阪大学、九州大学、筑波大学、北海道大学、名古屋大学と続いているのが分かると思います。

 また、これは教員数や学生数も同様の傾向です。

国立大学法人運営費交付金の配分状況 – 文部科学省より
国立大学法人運営費交付金の配分状況 – 文部科学省より

 教員の数が多いということは、それだけ多くの分野で専門的な学びができる可能性があります。

 学生が多いということは、自分が動けば色々な人脈ができます

 そして、予算が多いということは、それだけ学校単位としては潤沢な研究や部活活動ができることにも繋がります(とはいえ、人数あたりで割って、一人あたり換算することも大事です)

 大学在学中の選択肢を狭めないためにも、高校時代の選択肢を広げるのが重要なのです。当然、社会に出てからの選択肢を狭めないためにも、大学在学中の選択肢を広げるのも同様に重要です。

選択肢の広げ方は、勉強だけでなくてもいい

 現状だと、学生にとって勉学がもっとも身近で、自身の選択肢を広げてくれる方法であることは間違いないと思います(それがいいか悪いかは別として)。

 しかし、それが全てではないのもまた事実です。

 親に誘われていったスポーツ観戦、友達とやったゲーム、パートナー(彼氏・彼女)と出かけた日帰り旅行。どれも選択肢を広げることになり得ます。

 したがって、勉強以外でもそういった選択肢が広がるような思考をしていくのは非常に大事です。

 スポーツ観戦をしているときにも、興味を持てば、それだけ将来の選択肢の幅が広がります。例えば、サッカーであれば、思いつくだけでも下記のような仕事がスタジアムに関連してあるはずです。

Groupama Stadium
サッカーに関連する仕事
  • プロサッカー選手
  • 監督・コーチ
  • 受付・案内
  • 警備員
  • カメラマン
  • 客席売り子
  • ボールボーイ
  • 芝生維持管理
  • 店舗販売員
  • 清掃員
  • 花火打ち上げ
  • 映像ディレクター
  • 映像 CG 作成
  • 設備メンテナンス員 
ぺそ
ぺそ

もちろん試合に熱中してしまうと、上記の職業なんか頭からすっとんでいくけどね(笑)。けれど、そういった「働く人」を観察することは、とても大事だと思うよ

 

「勉強したって役に立たない」は本当?

 よく「こんなの勉強しても、社会に出ても役に立たない」という声を聞くことがありますが、正確には違います。それは勉強の仕方が間違っているのです。

 勉強を知識を覚えることに終止している場合、役に立たないでしょう。

 微分積分の仕方なんて議事録を書くのに必要ありませんし、光の反射の実験もプレゼンテーションをする際には役に立ちません。

役に立たないかどうかは、学び方次第

 しかし、微分積分のように、物事を細かいピースで分解することで得たい数値を算出することができるという考え方は、事業における市場分析をするときに役に立ちました

 光は常に直進するのではなく、錯覚を生むこともあるという学びは、それぞれの立場から現実世界でも見えているものが違うことを教えてくれたので、相手の意見に傾聴することの大切さを学べ、社内コミュニケーションでは大いに役に立っています

 そうです。本質的なところを学んでいるかどうかで、結果は大きく違います。

 与えられた情報を暗記する勉強は無意味です。しかし、与えられた情報から「自分はこれから何を学べるんだろう」と自問自答する学びは非常に重要です。

 そして、このブログではそういった点に着目しながら、色々な観点で学校で学ぶことを取り上げています。

 もし興味があれば、下記のような記事も覗いてみてくださいね。

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