私たちは毎日たくさんの選択をしています。それは「明日何食べようかな」という小さな選択だったり、「志望校をどこにしようか」という大きな選択まで様々です。
そんな数多くの選択の中で後悔する選択したとしても、その後悔から学ぶ事ができれば、それは決して無駄な選択ではありません。
しかし、ある一つの特徴のせいで、何度も失敗を繰り返してしまう人が多く、またそのことに気づいてすらいない人もいます。
その特徴とは一体何でしょうか?この記事では、その特徴について知り、自分が後悔する選択をしないように「大阪の陣」から学んでみましょう。
人生は選択の連続。だからこそ、後で自分自身が後悔するような判断をしないように、この記事を参考にしてほしいな
豊臣家滅亡を決定的にした「大坂の陣」
大阪の陣については皆さんご存知だと思いますが、知らない方のためにも、簡単に説明しますね。
大阪の陣のきっかけとなったのは、1614年8月の豊臣秀吉の17回忌に、京都の「方広寺」の大仏の開眼供養でした。
この大仏の釣鐘に「国家が安泰でありますように」と祈願文が書かれていたのですが、徳川家康が、
- この「国家安康」は「家康」の名前を分断させ滅ぼすことを意味している
- 「君臣豊楽子孫殷昌」(くんしんほうらくしそんいんしょう)は、豊臣が豊かになりますようにという意味である
と難癖をつけて豊臣側に大阪城から退去するように迫ったのです。
みなさん、これを聞いてどう思われますか?「こじつけがひどい!」と思われたんじゃないかと思います。
それもそのはずです。家康は、当時すでに老齢になっており、なんとしてでも徳川家を磐石な状態にする必要がありました。そのため、豊臣家の存在はずっと懸念材料だったのです。
もちろん家康の力は誰の目から見ても明らかでしたが、それでも豊臣家の威光は無視できるものではありません。それは、豊臣側が大阪の陣で家康相手に10万人の兵を集めたことからも明らかでしょう。
実際、秀忠に将軍位を継承したときにも、家康は秀頼に臣下の礼を取らせるように苦慮していました。結果、幕府に対して背かないという誓詞を各地方の大名87名からはもらうことができましたが、秀頼には誓詞を提出させることはできませんでした。
というわけで、家康はもうなりふり構わなくなっており、「今この時しかない」という思いで、豊臣家に開戦を迫ったのでしょう。
一方、難癖をつけられ、挙げ句の果てに住んでいるところから出て行くようと言われた豊臣側は、これを機会に開戦へと踏み切ることになります。
しかし、時期が悪すぎました。
例えば、豊臣側があと10年早く家康と対決する決断をしていれば、まだ秀吉に恩義を感じている大名・武将達が多く存在していました。しかし、大阪の陣が起きる数年前に相次いで亡くなってしまいます。
- 1611浅野長政・堀尾吉晴・加藤清正
- 1613池田輝政・浅野幸長
- 1614前田利長
→ この年に大阪の陣が起こる
もし彼らが生きていれば、相手が家康といえども勝ち目があったかもしれません。
逆にあと10年待って、家康の死後に政権を争ってもよかったでしょう。実績も経験も豊富な叩き上げの家康より、二代目の秀忠と争った方が勝ち目は幾分か高そうでもあります。(歴史を見ると、世代交代が戦乱のきっかけになる事が非常に多いのは、そのため)
豊臣家の存続を第一にするなら、その選択ができたかもしれません。しかし、結果はみなさんご存知の通り、徳川家の勝利で終わります。
自分の知識と前提でしか判断できなかった豊臣家
さて、なぜ豊臣側はこの失敗に陥ってしまったのでしょうか?いろいろな理由が考察できますが、ここでは二つほど取り上げみます。
誤り①:豊臣家は徳川家より上である
誓詞の提出を求めた件があったように、徳川家が豊臣家を臣従させようとする動きは初めてではありませんでした。けれど、ここまでの難癖で豊臣家の顔を潰すような形では初めてです。
このとき、豊臣側には「無礼な!家康如きが亡き太閤様に逆らうのか」という思いがあったのは間違いないでしょう。また、豊臣側が立てば、それに協力してくれる他大名がいるはずだ、という思いもありました。
しかし、多くの浪人は集まったものの、残念ながら諸大名の中で大坂城に訪れる人は一人もいませんでした。
つまり、豊臣側は世情を正しく認識できていなかったのです。「豊臣側の方が徳川側よりも上である」という過去の時代の前提に基づいた判断を下してしまったのが痛手でした。
誤り②:大阪城は難攻不落
さて、開戦とはなりましたが、どうやって徳川家と戦っていくのか。このとき二つの案が豊臣側にはありました。
まず、豊臣家宿老の大野治長を中心とする派閥は籠城を主張しました。これは大阪城の固い警備を利用し、徳川軍を疲弊させて有利な講和を引き出そうとする方法です。
一方の真田信繁(幸村)・後藤基次・毛利勝永は、まず畿内を制圧することで、関東の徳川と西国の諸大名を遮断し、そこから徳川軍を迎え撃つ出撃を主張しました。
結果、前者の籠城策が採用されたわけですが、この時籠城側にあったのは、過度な城への期待でした。
何と言っても、築城名手の秀吉が心血を注いで立てた天下に聞こえた大阪城です。それだけの期待されるのも理解できますが、城の強さが必ずしも、戦の勝敗を決定づけるわけではありません。
実際に戦の最中に、本丸への砲撃が淀殿(秀吉の側室で秀頼の母)の8人に侍女に命中し、8人全員が死ぬという事件が起きました。この凄惨な光景を見て、豊臣側は和議に応ずる事を決めました。
このように、戦いは人が行う以上、人の要素も非常に重要になります。ところが、堅牢な城だけを頼りに考え、実際に戦をする人々の心理状況を考慮しきれなかったところにも失敗があります。
これは小田原征伐で北条側が秀吉側に屈した小田原攻めと一緒の流れだね。「絶対に落ちない」という前提で動いてしまうと、概して良い結果にはならなかったんだ
間違った前提のせいで、理解されなかった世紀の発明品たち
先ほどは大阪の陣についてみてきましたが、他にも間違った前提のため、誤った判断をされたものがたくさんあります。下記にいくつか紹介しましょう。
①:「電話」は市民に使いこなせない
1876年、アメリカ最大の電信会社ウエスタン・ユニオンは、一般人は電話を使いこなせるほど賢くないと言って、グラハム・ベルから10万ドルで特許を買い取ることを拒否した。「ベルは、訓練を受けたオペレーターの助けなしで一般市民が彼の発明品を使えるようになると思っている。しかし電信技師なら誰でも、この展望が間違っていると即座に理解できるはずだ。市民が高度な通信装置を使いこなせるとは、とうてい考えられない」。
②:「鉄道」で移動すると、人は死ぬ
「鉄道での高速移動は不可能である。なぜなら乗客は呼吸できず、窒息死してしまうからだ」。ユニヴァーシティー・カレッジ・ロンドンの教授で蒸気機関に関する著作のあるディオニシアス・ラードナー博士 (1793~1859)は、鉄道の高速走行によって乗客に死や脳の異変が生じ、見物人もめまいをきたすと予言した何人かの博士の1人だった。
③:「自動車」は売れて100万台ぐらい
自動車業界のパイオニアとなったゴットリープ・ダイムラー(1834~1900)は、運転者がそんなに確保できないので世界全体で自動車が100万台を超えることはないと考えていた。この予想は、自動車にはお抱え運転手が必要だという間違った前提にもとづくものだった。
④:「コンピューター」は一つの国に5〜6台で十分
1943年にIBMで電気計算機のマークⅠを製作したハワード・エイケンは、のちにこう述懐している。「この国では研究所のどこかに大型コンピューターを5、6台も置いておけば、国中の必要をすべて満たせると当初は思われていた」。この予想は、コンピューターが解決するのは科学に関する問題だけだという間違った想定に立脚していた。
SNSにも、間違った前提のコメントは多い
ちょっと、話が大きくなってきたので、もう少し身近な例を紹介しましょう。
自分はYoutubeで好きなカップルチャンネルがあります。そのカップルは暴力的な会話や下品な振る舞いなどがないため、安心してほのぼのと楽しんでいます。
しかし、そんな動画に対して、次のようなコメントがありました。
「誰得」
「きもい動画やなぁ」
みなさんも、このように好きな動画に対する否定的なコメントを見て、嫌な気分になった人もいるんじゃないでしょうか?
しかし、先ほど見たように、これこそが「自分軸の前提知識でしか物事を見れない人」だということを知っておきましょう。
それこそYoutubeでは、それぞれがそれぞれの価値観で動画を投稿しています。
そして、それを気に入った人が視聴しています。やってみた系、過激なコンテンツ、ASMR、ゲーム実況、生産プロセス動画等々、人の数だけ好みがあります。
当然自分と合わない動画もあるでしょう。そういう時、どうすれば良いのでしょうか?
簡単ですね。黙って去れば良いだけです。自分の好みが他人の好みと一致しないことなど当たり前で、価値観も人それぞれです。どちらが正しいという世界ではありません。
ところが、こういう否定的なコメントを残す人はそのことが理解できません。
なぜなら「自分だけの前提」でしか生きておらず、自分軸で「これはつまらない。これは良くない」と判断するからです。(実際には、そのチャンネルはすでに10万人を超える登録者がいましたから、少なくともそれだけの人数は価値を感じているという事実があるのにも関わらず)
独りよがりの前提では社会では通用しない
そして、この価値観の違いを受け入れられない人は非常に危険だということを理解しておきましょう。なぜなら社会というのは他人との交流で成り立つものであり、一人では成立しないからです。
ビジネス面で考えても同様です。仕事は他人に対して何の価値を提供できるのかという点が非常に重要ですから、独りよがりの前提知識で行動する人が上手くいかないことは簡単に想像できるでしょう。
「こんなサービス、誰が喜ぶんだ」「顧客のことをわかっていない」「絶対失敗するビジネスだ」
こういった声が、自分の価値観にあっているかどうかだけの根拠で発言されている場合は、注意が必要です。独学で勉強できる人が「塾なんて、搾取ビジネスだ」というようなものだからです。
結果的にこのような人には、単調作業などの定められたルーチンワークしか割り当てることができませんし、当然やりがいのある仕事など、回ってこないでしょう。
それに気づかず不平不満ばかり吐いているだけでは、「世の中は間違っている」という愚痴にしかなりません。
【まとめ】自分の知識には限界があることを知り、常に勉強する
いかがでしょうか?ほとんどの人は独りよがりの人になりたいとは思わないでしょう。その結果間違った選択を繰り返すことになるのも避けたいはずです。
では、どうすればそうならないように注意できるでしょうか。それは自分の意見は自分の知識と前提から出たもので、自分とは違う意見や知識があることを認識することです。
そのためには、新しいことを自分と違うからと弾くのではなく、柔軟に受け入れる必要があります。この受け入れる作業は勉強に通じます。
この勉強とは学校の教科だけを指す狭い言葉ではなく、人生における学び全般を指します。生きている以上、人はずっと学び続けます。この学びをおろそかにした瞬間、その人にとっての世界はその時知っている情報で終わってしまうでしょう。
さて、あなたは大阪の陣の時代に生きていて、豊臣側の大老の立場だった時、あの屈辱的な言いがかりを受けたとしても「今は辛抱しましょう」と説得できたでしょうか?
あるいは、籠城か打って出るかの議論になった時に、長く一緒に政務を共にした同僚ではなく、立場も身分もない浪人の意見に賛同し、「今は打って出るべきだ」と主張できたでしょうか?
結果が分かっていれば言えるかもしれないけど、当時の状況では何が正解かわからないし、周りとは全く違う意見を押し通すのは、ものすごく勇気がいることなんだ。だからこそ、広く学ぶことは大事なんだね