古文を楽しむための3つの着目ポイント ~「言葉」から背景が分かる古文の魅力~

教科

 こんにちは、ぺそです!さて、今日のテーマは「古文」について。

 特に古文は文法を覚えないといけなくて、つまらないと感じる人が多いんじゃないでしょうか?

 これ実は、非常に勿体無いことです。英語も同様で、言語として学んでしまうと、面白さは半減してしまいます。しかし、言語ではなく、読み物として捉えると、実は興味が沸くポイントはたくさんあるのです。

 では、どういった点に着目しながら読むといいのでしょうか?この記事では、その3つのポイントを紹介します。

ぺそ
ぺそ

ただ昔の言葉を覚えるんじゃなくて、「なるほど、そんな面白さがあるんだ」という点を皆さんに感じてもらえれば、嬉しいな!

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ポイント①:当時の人が感じた情景を思い浮かべる

 残念ながら、2021年時点でタイムマシーンは発明されていないので、過去にタイムスリップすることはできません。また、平安時代などは良くて絵しか残っていないので、当時の状況がどんな感じだったか、なかなかイメージが難しいのが現状です。

 しかし、言葉からそれを感じることができるのです。

「垣間見る」から分かる平安時代の恋愛事情

 例として、「垣間見る」という言葉を見てましょう。古語辞典では次のように書かれています。

かいま-・みる 【垣間見る】
 物の透き間からこっそりとのぞき見る。

weblio古語辞典 – 垣間見る

 今だとストーカー扱いになりますよね(笑)ところが、当時はこれが普通の出会いでした。

 なぜかと言うと、平安時代において男女は恋愛関係が成立しないと直接会うことはできなかったんです。じゃぁ、どうやって相手を知るのか。それが「垣間見る(こっそり見る)」という行為だったわけです。

それでは「会う」の昔の意味は?

 では、逆に「会う」という単語には、当時どういった意味があったのでしょう?試しに「会う」という言葉についても調べてみると、、、

あ・ふ 【会ふ・逢ふ】
 ①出会う。巡り合う。
 ②結婚する。
 ③対する。向かう。
 ④争う。戦う。

weblio古語辞典 – 逢ふ

 なんと「会う」に「結婚する」という意味が含まれているのが分かります。このことから、当時はしっかり面と向かって男女が相対するのは、今よりも重い意味があったんだということが分かります。

 こんな感じで、言葉一つ一つをとっても、当時の事情が浮かび上がってきます。

 逆に考えると、現代とさして変わらず理解できるものに関しては、ほぼ同じ感覚で昔の人も感じていたと捉えることもできます。

 言葉を通して、過去の日本の状況を感じることができるなんて、結構ロマンを感じませんか?

ポイント②:当時も今も、本質的な感情は大して変わらないことを忘れない

 もう一点は、「昔の人も今の人もやっぱり本質的な所はそこまで変わらないんだな」というところです。

 若い人が使う言葉で、接頭語に何かを加えて、程度を表したりすることがよくありますよね。例えば「鬼強い」「神アプリ」「爆睡」などなど。一部は立派に市民権を得て、世代を問わず日常的に使われるようになった言葉もあります。

 これ、昔の人も同様だったです。

『「~もじ」ってなんか響きが上品だよね』

 実際、室町時代において、宮廷に使える女性たちの言葉で「もじ」という言葉が多く使われました。例えば、、、

  • 寿司 => すもじ
  • お目にかかる => お目もじ
  • しゃくし => しゃもじ
  • 髪 => かもじ

などです。「もじ」というのは、単語の後半を省いた形に添えて、その語が表すものを上品に言うときに使われたと言います。

 基本的には考え方も広まり方も根本は一緒なのが分かると思います。

 一部の人が使い始め、それが浸透していく。中には、そのまま現代に残っているものさえあります(「しゃもじ」がまさにそうですよね)。

ポイント③:言葉が変化していくのは当たり前だと認識する

「正しい日本語が失われる」というのは本当?

 他にも、若者言葉の特徴として「何でも省略する」というのがあります。これに対して、よく「正しい日本語が失われる!」という指摘も見ますが、正直的外れに感じます。

 例えばですけど、以下の単語を正しく使っている方は、近くにいますか?

一般的な呼び方
  • テレビ
  • ガム
  • コンビニ
  • エアコン

本当に正しく使うならば、下記になります。

正しい呼び方
  • テレビジョン
  • チューイングガム
  • コンビニエンスストア
  • エアコンディショナー

 こういった単語に対して怒っている人は、見たことありません。

 ほとんどの人は「正しい日本語が失われる」ことを嘆いているのではなく、「自分がわからない日本語を使われるが嫌」なだけだというのが正直なところだと思います。

正しく使われていないのは、外来語だから?

 あるいは、外来語は日本語ではないと考えて、それを訳すのはセーフと思っているのかもしれません。

 確かに「アポ(イントメント)」、「リスケ(ジュール)」など、外来語は略されがちではあります。しかし、下記の言葉はどうでしょう?

こんにちわ => 「今日は、よいお日柄で」の挨拶語の省略
さようなら => 「左様ならば、これにて失礼します」の省略

 はい、ばっちり略されていますね。

 結局、言葉というのは変化していくものです。自分が学んだ言葉だけが正しいと考えるのではなく、言葉は生き物であり、その時の情勢や世代、考え方が反映されているものだと考えるほうが、よっぽど建設的だと思います。

【まとめ】古文を読み物として捉えよう!

 以上見てきたように、現代と異なる状況を感じることができる一方で、本質的なところはそう変わっていないことを感じるというのは、古文において非常に面白いなと感じる点です。

 異性と付き合うまでのステップは確かに全く状況が違います。けれど、垣間見る/見られる瞬間のドキドキと、初デートに誘うときのドキドキはきっと変わらないでしょう。

 なぜなら「愛す」「好む」という言葉は今に至るまで、脈々と受け継がれているからです。

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